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以前は本の虫だった私ですが、12年前に妊娠結婚転居出産育児義両親嫌悪など様々な事態があり、とても読書どころではないという、本からすっかり遠ざかった生活を送っていました。
あ、産後絵本は読み聞かせしてましたが、自分のための読書には至らず、という感じでした。
育児中は、意識を本に集中させることが難しいですよね。
うっかり世界に入り込んでしまって、子どもが誤飲や転落などの事故に遭わないか気がかりで仕方なく。
ちょっと成長しても、今度は子どもに「おかーしゃーん!」「見て見て!」「おかーしゃんってばー!」「もうー!!」と呼ばれます。
園に入っても、朝送って帰って家事してたらあっという間にお迎えの時間が来て、またガチャガチャしてしまいます。
この時期に読書って、ちょっと難しいのかもしれないですね。
さて私は、基本的にミステリが好物なんです。
小学校の図書室で
「シャーロックホームズ」
「少年探偵団」
「怪盗ルパン」
を借りてはむさぼり読んでおりました。
ファンタジーの有名どころもひと通り読みました。
中学ではクイーン、クリスティ(ポアロさん大好き)、横溝正史、からの集英社コバルト文庫、赤川次郎などと、ハードボイルド。
高校では好きだった日本史の先生に薦められて読み始めた時代小説にハマり、坂本龍馬LOVE!になり、土方歳三サマ~!となり、
司馬遼太郎、池波正太郎、平岩弓枝、堺屋太一など。
社会人になってからは宮部みゆき、東野圭吾、北村薫、パトリシア・コーンウェル、スー・グラフトン、デボラ・クロンビー、宇江佐真理、北原亞以子、浅田次郎、若竹七海、近藤史恵…
はっ!
私の読書遍歴を延々と述べている場合ではありませんでした(笑)。
子育て中に知った、絵本作家ヨシタケシンスケ氏。
久しぶりに行った本屋に、『絵本大賞受賞!』のPOPが付いている作品が、ずらりと並んでおりました。
立ち読みしてみたら、この方の視点はこれまで私の知っていた絵本作家とは全然違うことに衝撃を受けました。
当時絵本を買うようなお金が全然なかったので、早速図書館に行ってあれこれ借りてみました。
大人から見た子どもらしい子ども、
一般的に言うお母さんらしいいいお母さん、
みたいな描き方ではないのが好感でした。
子どもを愛してはいるけど、いつも笑顔ではいられないですからね。
最近は元々の収集癖も発動して、少しづつ著作を買い揃えています。
で、絵本で一番好きなのがこれです。
先日行った、『ヨシタケシンスケかもしれない展』でも登場キャラと撮影しました。
人の中にある、善意も悪意も、ひっくるめてその人だよね。
悪意を否定するのは簡単だけど、そういうのと折り合いを付けながら生きてくのが人間だよね、と思います。
きれいごとだけいう絵本より、よっぽど信用できると思いました。
前作の『仮面ライダー リバイス』も、それぞれ内面の悪魔と力を合わせて共に闘うのがテーマでした。
ちょいちょい毒吐かないと、息苦しくなりませんか?
いつもいい人でいるのはとても疲れます。
そういうところに惹かれて今回も買ってみた、『日々臆測』です。
また前置き長い…ごめんなさい。
臆測って、結局外側から見ただけ、本質・真実(真実も人によって違うから何かはさっぱり分からないけど)は確認してないんだと思うんです。
- これってこうなんじゃないか?
- あの発言はこういう意味なんじゃないか?
- その仕草はこんな意図なのかな?
ホントのところを聴いて確認してないんですよね。
臆測というか、妄想に近いと思うんです。
楽しむだけなら全然アリだと思いますが、昨今この臆測を『忖度』と言ったりしませんか?
また『空気を読む』とも言っていると思うんですよね。
え?正気ですか?確認してないのに?
と最近思います。
この本の中に『わかってほしい』というストーリーがあります。
『わかってほしい』
子どもは説明がヘタ
でもそれは子どもに限らないよね
人類に争いごとが絶えないのは説明がヘタだからじゃない?
高度に発達した宇宙人は相互理解をする方法が非常に優れているのかな?
ヨシタケシンスケ『日々臆測』P128。内容要約Byヒラリー
言葉で理解しあおうとしても行き違うのに、テレパシー能力でも持ってましたっけ、私たち?
しょせん他人ですよ。夫婦だろうと親子だろうとなんだろうと。
言わなきゃ伝わらないし、言っても伝わらないことも山ほどあります。
理解しあうには非常な努力を要すると思っています。
ましてや学校・職場の人間なんて。
理解できる方がすごいと思います。
でね、私もそうだと思っていたHSPという特性表現。
『ハイリー・センシティブ・パーソン』いわゆる『繊細さん』と表現されている人たちのことです。
ざっくり言うと、空気を異常に読みすぎるあまり、生き辛くなってしまうんですよね。
でもね、HSPって結局臆測に過ぎないんですよね。
「たぶんこうなんじゃないか?」
「あの人はおそらくこう思ったはず」
「きっとこう考えたからこんなことしたと思う」とか。
見えない空気を読んで感じることを基に、根拠のない推理をあーだこーだ展開しているのです。
そして確かめる前になぜか「やっぱり!」と確信してしまって、防御のためにシャッターを閉じてしまうんですよね。
「私は今あなたのこの仕草を、このように受け止めたのですが、合っているでしょうか?」
「今の咳払いは○○をするという合図でよろしいでしょうか?」
なぁんて、いちいち確認する勇気はないのに、自分のセンサーには絶対の自信を持っていた気がします。
でも、私の感じた空気は、ほんとにそんなことを表してたんでしょうか?
当の相手に聴いてみたら全然違った、取り越し苦労だった、ということももしかしたらいっぱいあったかも知れません。
全問正解できていたかどうか、答え合わせはしていないんですよ。
確かめずに一方的に「閉店ガラガラ」は、今となっては非常に失礼だったのではなかろうか?と思います。
想像と言うか、臆測・妄想でモヤモヤして、ウジウジして、クヨクヨして、悩んで落ち込んで。
そういうのって、時間もエネルギーももったいないです。
ですから、
略して『モヤチャの法則』と仰ってます。
実際私はこれをやるようになってから、
- 妄想ウジウジタイムが短縮できるようになり、
- 勝手に傷つくことが減り、
- 勝手に人を嫌いになることも減り、
- 聴いてみて確認するという答え合わせの結果、自分はそんなに精度が高いセンサーでもなかった、ということがわかりました。
私も誰も彼も、「人は見たいように物事を見るものだ」というのは事実なのだと再確認したのでした。
・まとめ・
みんなが非言語コミュニケーションをやめて、きちんと言語化し丁寧に説明する努力をしたら、発達障害による行き違いなども減らせるから、ノーマライゼーションになるのでは?と思います。
日本人の「察しろ」文化。
絶滅しろ!と思います。
今日は辛口毒吐きバージョンでお届けしました。
私の思考があなたのヒントになりましたら幸いです。
では、またー。
ライフオーガナイズの基本理念
『ニーチェの言葉から』
This is my way.
これは私のやり方です。
What is your way?
あなたはどんな風にしますか?
THE way does not exist.
唯一の方法(正解)なんてないんですよ。
ラジオ、聴いてくださいね!
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